SideM3rdツアーを振り返って -SideMが今後目指すものとは

 SideM3rdツアーが終了して一週間以上経った。これ以上日時が過ぎると自分の中で記憶が霞となって消えそうな予感がするので、霧散する前に自分が思ったことを言葉として記録しておくことにする。

 

 2nd公演を終えてから3rdツアーに至るまでにSideMが辿った道のりは、決して大手を振って讃えることができるものではなかった。かねてよりファンから言及されてきた1st組と2nd組の間の格差は、事実上1st組しか出番が無かったと言っていいアニメ放映によりさらに大きく広がることとなり、持ち曲、グッズ、イベント他あらゆる面でその差を感じざるを得ない状況となってしまい、多くのファンから失望を買う結果となってしまった。そのような背景の中今回のツアーは迎えられたため、穏やかでない心境でこのツアーに参加した、という方も少なくなかったように思う。かくいう私は、アニメ放映時は「言うて幕張でアニメ二期の発表やるでしょwwwwwwwwあんまピリピリすんなよwwwwwwww」というスタンスであったため、幕張初日公演後に二期に関する発表が何も無く、申し訳程度の全員集合キービジュアルが公開されただけであったのを見た時は流石に真顔になってしまった。

 とはいえ蓋を開けてみれば、このツアーはより磨きのかかったパフォーマンスが惜しげもなく披露されただけでなく、SideMの今後を占う上で非常に重要な公演でもあったことがよく分かった。という訳でここからツアーに触れて生まれた私なりの考えをつらつら~っと書いていく。

 

アニメの総決算?

 

 さて、アイマスシリーズの周年ライブには、何らかのテーマが持たされていることが多い、と私は考えているのだが、そうであるならば今回の3rdツアーは、7th(765)、シンデレラ3rdと同じく「アニメの総決算」であろう、と当初は踏んでいた。そう、当初は。

 実のところ、「アニメの総決算」という枠組みだけで考えるのなら、それは幕張初日にてほぼ完璧な形で成し遂げられてしまったのだ。(1st組の)アニメに使用された楽曲のみで構成されたセトリ、Jupiterの961から315への華麗な転身、そして締めのドラスタ、アンコール明けのGLORIOUS RO@Dと、アニメの物語をなぞる、という点ではこれ以上無いくらいの展開であった。つまり、このツアーが私が当初考えていたテーマを本当に持っているのだとしたら、後の公演は完全に蛇足ということになってしまう。幕張初日で締めてしまった方がスッキリとした終わりとなるのである。本当にそれをやったら非難轟々だ。

 ならば、この公演の真のテーマは「アニメの総決算」ではないのではないか?目指すところはアニメとは別にあるのでは?そう考えながら他公演(仙台公演は都合により不参加)に参加していく内に、福岡公演である考えが生まれ、静岡公演初日でそれはほぼ確信へと変わった。単刀直入に言おう。このツアーのテーマは「集から個へ」、である。

 

個と集・SideMが他マスと異なる点

 

 本来アイマスにおいて“ユニット”というものは存在しない。

 ……と言うとひっじょ~~~~~に語弊があるので補足する。アケマスの時点で1週目クリア時にユニットプロデュースが開放される要素が存在していた。なんなら「2」には竜宮小町だってある。しかし、ユニットという概念が存在するとはいえ、プレイヤー、すなわちPが最初に接するのはアイドル個人である。これは派生作品であるシンデレラガールズ、ミリオンライブにおいても同様だ。プレイヤーはまず一人のアイドルと対話することから全てが始まる。

 しかしSideMにおいては、まずそもそもユニットが初めから存在している。プレイヤーが初めて触れるのは、アイドル個人ではなくユニットなのだ。この点で、SideMは他マスとは一線を画する。……まあ、この辺りの話はあまりにも当たり前と言える話だし、そもそもシャニマスリリースによりこの特徴はSideM固有のものではなくなってしまったが。

 アイドルの人数が765よりもグッと多くなっているシンデレラガールズやミリオンライブでは、リリース後しばらくしてからアイドル達によるユニットが前面に押し出されることになる。これは、ユニットとして一纏めにすることでアイドルの出番を確保しやすくするためだけではなく、アイドル自身の掘り下げという役割もあるだろう。アイドルの人数が多く、さらにソーシャルゲームという都合上、アーケードやコンシューマーのようにアイドル一人一人をじっくり掘り下げる場を用意することは難しい。そこで、ユニットを設けることでアイドル達同士の会話を用意し、アイドル個人の人間らしさに深みを持たせるという方針が取られているのだ(たぶん)。ここでは、アイドル個人が持つ強烈(デレミリは個性の強い子多いよね)な“個”が時を経て“集”へと向かう変化が起きている。完全に余談ではあるが、デレ、ミリにおけるユニットの存在についてはまた別の機会で掘り下げられればと思っている(思ってるだけ)。

 対象的に、SideMでは当初からユニットを設置し、ユニット内でのやりとりを大量に用意することで、アイドル個人の人間性の把握をより容易なものとしている。またユニット自体に強烈な個性を持たせることで、かえって個人の特徴を掴みやすくなっている、という点も見逃せない(“宇宙人ピンクのメガネ”“ハワイ帰りの男”が記憶に新しいか)。恐らく、シンデレラ、ミリオンで得られた経験をSideMへと生かしているのであろう。“集”を強化することが、逆に“個”の強化へと繋がっているのだ。

 シンデレラ、ミリオンは「個から集へ」と向かうことで、アイドル達の持つ可能性を広げていった。ならばSideMは?当初から“集”が存在していたこのコンテンツでは?間違いない、「集から個へ」と向かう動きが起こるはずだ。そして、福岡・静岡公演では、この動きの一端に触れることができたのである。

 

動き出した“個”

 

 福岡公演ではBeitによる「Fun! Fun! Festa!」「スマイル・エンゲージ」が、静岡公演初日では彩による「桜彩」「喝彩! ~花鳥風月~」が披露された。こう書くとなんの変哲も無いセットリストの一部であるように見えるが、重要なのはこの四曲が“フルメンバーではない状態で”行われたという点である。他マスにおいてはフルメンバーではない状態で曲を披露する、というのは決して珍しいことではない。しかしSideMにおいては、これだけで相当な衝撃が走ることとなった。

 福岡公演ではピエール役の堀江瞬さん、渡辺みのり役の高塚智人さん、静岡公演初日では華村翔真役のバレッタ裕さん、清澄九郎役の中田祐矢さんが事前に追加キャストとしてクレジットされていた。この追加キャストが発表された時点で多くの人は「せいぜいソロ曲と全体曲に参加するのみだろう」と考えており、ユニット楽曲を披露することは無いだろう、というのが総意であったように思う(それぞれメンバー一人のみ、という特殊な状況ではあったが、2nd、グリーティングツアーにおいてJupiterの面々がゲストとして参加した際もユニット曲は披露されていない。カレイド TOURHYTHM?知らない子ですね……)。その理由は、詳しくは後述するがユニット曲が持つ重みというものを皆理解していたからだ。が、実際は前述の通りメンバーが欠けた状態でパフォーマンスが行われた。初めてこの“フルメンバーではない状態でのユニット曲披露”が行われた福岡公演会場では、「Fun! Fun! Festa!」という楽曲が持つ破壊力におののく畏怖の念と同時に、「まさかやるとは思わなかった」という驚嘆の感情もかなり多くを占めていたように思う。ピエールが「お祭りしたい!」と叫んだ時のあの会場のどよめきは未だに忘れられない。いや、ピエールソロからのみのりソロでむせび泣いた直後のこれは本当に何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか超スピードだとか(ry

 SideMにおけるユニット曲には非常に多くの物語が込められている。ユニット自体が一つのキャラクター然として動くこのコンテンツにおいて、ユニット曲はまさに個人曲と言って差し支えない。それくらい色んなものが詰まっている。アイドルたちの生き様、感情。それに、演者たちの思いも。全員で歌うからこそユニット曲はその魅力を持っていると言えるほどである。だからこそ、福岡公演、静岡公演でのこのパフォーマンスは大きな意味を持ってくる。それこそが、前述した「集から個へ」という動きだ。

 フルメンバーではない状態でユニット曲を披露したということは、すなわち“集”より“個”を優先した、ということに他ならない。完全なユニットの状態ではなく、ユニットを形成する個人が優先されたのだ。それは、ユニットが完全なユニットの形を取らずとも人々に認識してもらえるほどにコンテンツが成長した、ということであるし、メタ的には全員でなくとも全力を出せるほどにユニットメンバー間での信頼関係が成熟した、ということでもあるだろう。少なくとも運営側は、ここでこのパフォーマンスを行っても問題は無いと判断した。SideMは、間違いなく次のステップを踏む段階に入っている。

 思えば、幕張公演二日目にてソロ曲がフルコーラス、かつバックモニターの演出有りで披露された時点で、この一連のツアーのテーマに気づくべきであった。2nd、グリツアにおいてショートバージョンのみ、悪く言えばユニット曲間の繋ぎのような形で初お披露目されたソロ曲が、ツアーでは立派な一つの演目として、ユニット曲に引けを取らない姿で披露されたのだ。つまりこれはソロ曲が、ユニット曲と同等の扱いでも差し支えない状態になったことを意味している。福岡、静岡でのパフォーマンスは、この“個”を優先する動きの一環でしかなかった(その動きが最も分かりやすく表れた形であった、というだけの話である)。

 

SideMの今後

 

 ユニットを離れた個人が強くフィーチャーされることとなったこのツアーは、SideMの今後の指針をはっきりと指し示す形となった。幕張公演において電撃的に発表されたWORLD TRE@SUREシリーズはその最たる例である。このシリーズにおいて個人は、自身の出身ユニットが持つ味よりも、自身が持つ個性の方をピックアップされており、以前のユニット内での交流では生まれなかった掘り下げが行われている。ユニット越境による歌唱はこれまでに無かった試みであり、これからどんな世界が生まれるのか、期待したい。サイバネ…… 

 まあ冷静になって考えれば、ツアーに目をやらずともエムステにおいてユニット越境がメインとなっている時点で、SideMの今後の動きは明白だった。今後、ORIGIN@L PIECESから始まったユニットを離れた個人の活動はますます活発になっていくであろうし、オリピのリリースが終了した今、WT以外の方面からのアプローチによる新展開も用意されているはずだ。

 依然として問題が山積みのSideM。しかし今後の展望を少しだけ見せてくれた今、ここから始まる動き出した世界にもう少しだけ期待していたいと思う。とりあえず二期はよ。

 さて最後になるが、“フルメンバーではない状態でのユニット曲披露”が行われた福岡公演、静岡公演のMCにて発された、とても印象に残っている言葉を紹介したい。それが、高塚さんの「二人のステージにも、きっと意味はあると思う」、中田さんの「“二人の彩は物足りないね”と思われたくない」、である。これは本当に、メンバー間の信頼関係、絆がしっかりと形成されているからこそ発された言葉であると思うし、何よりユニットもこれまで通り大切にしていく、という思いも伝わってくる。ツアー全体で見て、いや、SideMのライブ全体で見てもかなりの名MCであると思っている。マジで。これは完全に担当目線での話になるのですが、高塚さんの言葉、めちゃくちゃみのりさんが言いそうな言葉じゃないですか……?恭二がいないステージで、凛とした目でこの言葉を語るみのりさんが容易に想像できる。みのりさんを深く理解しているからこそ発された言葉でもあると思うんですよ。いやマジでほんま尊すぎる高塚さんありがとう。

 ここはまだゴールじゃないので、ここで立ち止まられると大変困ってしまう。まだまだ見たい景色がたくさんあるのだ。これからもずっとずっと、その先を目指していって欲しい。願わくばそれが、多くの人にとって最高なものでありますよう。